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『存在する人間』について考えてみる 第2章:未来への責任 ― AIと共に育つ子どもたちへ

  • 執筆者の写真: 中村恵子
    中村恵子
  • 11月19日
  • 読了時間: 5分
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■「言葉が減っている」と感じる日々


この仕事を20年続けてきて、最近感じる変化があります。

子どもたちが使う日本語のボキャブラリーが、

以前より少なくなっているのではないか、ということです。


たとえば、英語のレッスンで bookstore が新出単語として出てきたとき、

かつてなら「ブックストア」という“日本語”をどこかで耳にしていた子がほとんどだった。けど今は、それをまったく新しい言葉として受け取る子が意外にいるんですよ。


もしかすると、これは日本語や英語の問題というより、

「経験」と「言葉」の関係が薄れていることの表れかもしれないな、と。

■経験と結びつかない「言葉」


今の子どもたちは、情報を自分から取りにいくよりも、

与えられるものを受け取る機会の方が多いんですよね。

YouTubeなどで目から入る情報を、やりとりを通さず受動的に見続ける。


その結果、言葉が“体験の結果”ではなく、“画面上の情報”として流れていく。

言葉と心を結ぶプロセスが、随分と希薄になっているように感じます。

■AIが生み出した「やりとりの再発見」


そんな時代に登場したのがAIです。

AIは、人間に代わって答えを出すだけでなく、まるで「会話の相手」として存在します。

質問をすれば丁寧に返してくれ、悩みを投げかければ、優しい言葉をくれる。


そこには、YouTubeのような一方通行ではない“やりとり”が確かに生まれています。

この点では、むしろ、AIは人間に「対話」を思い出させてくれる存在なのかもしれません。

■でも、AIは痛みを知らない


ただ、ね。

AIには身体がなく、温度も呼吸もなく、

AI自体が誰かの言葉に痛みを感じることもありません。


もし、子どもたちが“存在しない相手”との対話の中で言葉を学び、

感情を育てていくようになるとしたら。

その想像力や感受性は、これまで人間の中で育まれてきたものと同じなのか。


私は、AIとの対話が決して悪いとは思いません。

私自身、AIに様々な壁打ち相手になってもらっていますしね。


でも、人と人とが関わる中で生まれる「痛みの共有」は、恐らくAIには再現できません。

人を傷つけたり、傷つけられたりしながら、言葉の重さや熱を知っていくこと。


勿論、それはできれば避けたいことかもしれない。

でも、小さな「言葉の失敗」の中で、

言葉の重み、優しさ、無慈悲さ、強さを学んでいくんです。

そして、自分がどんな言葉を使っていくかを考える。

これって、すごく大切なことだと思います。

■幼児クラスの小さなできごと


先日、幼児クラスでこんな出来事がありました。

みんなでじゃんけんをした時に、

ある子のタイミングがあわず、後出しっぽくなったんですよね。

それを見た別の子が、烈火のごとく怒り、「ずるい!」と叫びました。


そしたら、言われた子は泣き出してしまう、

見ていた他の子は、気まずい感じになってしまう、

怒った子も、その矛をどうしまったらいいか分からない。

ま、子ども同士なら、よくある光景なのですが。


泣いてしまった子、怒っている子、どちらにも自分なりの“正しさ”がある。

言葉と感情が、一緒にぶつかり合う瞬間です。


人間のやりとりというのは、まさにこういう一瞬一瞬が積み重なったもの。

言葉の熱量が、直接、相手の心に刺さる。

それが人を傷つけることもあるけれど、

その痛みを通して、人は少しずつ「どう言葉を使うか」を学んでいく。


どんな言葉を選ぶべきか、どれくらいの熱を込めるべきか。

これは、存在する人間どうしの関係の中でしかできないことだと思います。

■「熱のない忠告」が増えていく世界


AIは、きっとどんな暴言を投げかけられても傷つかないでしょう。

「それはよくないよ」と注意はしてくれるのかもしれませんが、

そこに痛みも怒りも伴わない。

つまり、その忠告には“熱”がないんです。


もし子どもたちが、そんな世界の中だけで言葉を学ぶようになったら。

いずれ人間の言葉は、体温のないただの“音の連なり”になってしまうかもしれません。

■迷いの少ない時代に育つということ


AIの進化は、もはや止まることはないでしょう。

これからの子どもたちは、生まれた時からAIと共に育つ、初めての世代になります。

それはきっと、便利で効率的で、迷いの少ない世界かもしれません。


でも、同時に思うのです。

「迷いの少ない世界」で育つということは、

「自分で迷いながら考える経験」を失うことでもあるのではないか、と。


それはつまり、人間の退化ではないか?


だって、人は迷い、悩み、間違えながら、

他者と関わり、言葉を選び、心を育ててきた動物ですから。

■未来への責任


AIが導く“正解”だけでは、人はきっと成長できません。

なぜなら、成長とは「正しい答えを知ること」ではなく、

「間違いながらも、自分の中に答えをつくっていくこと」だから。


子どもたちに関わりを持つ我々大人は、「未来への責任」があると思います。

それは、子どもたちに“痛みを避ける世界”を与えることではなく、

“痛みを受け止めながらも考え、生きる力”を伝えること。


どんなに時代が進んでも、人と人が向き合い、言葉を交わし、

そこに生まれる摩擦やぬくもりを通して育つ感受性を、

私たち大人は子どもたちに手渡していかなくてはならないのだと思います。


AIが「間違えずに」導く世界の中で、

あえて不器用に、悩み、考え、誰かとぶつかりながら生きる。

そんな人間らしい時間を、次の世代にも残したい。

それが、この時代を生きる私たち大人の「未来への責任」なのだと思います。


この “『存在する人間』について考えてみる” シリーズは全4回の予定です。


📍ECCジュニア田村町教室


 香川県丸亀市田村町


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