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『存在する人間』について考えてみる 第4章:英語教室という場で、私ができること

  • 執筆者の写真: 中村恵子
    中村恵子
  • 14 分前
  • 読了時間: 5分
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■ “教える人”ではなく、“在る人”として


私は英語講師です。

もちろん文法も発音も、読み方も書き方も教えています。

でも、この仕事を続けていると、

自分が生徒たちに本当に果たしている役割は、もっと別のかたちをしているのではないか。そんなふうに感じることがあります。


私の役割。

それは「石」のようなもの。


ロッククライミングの壁に無数に埋め込まれた石。

それ自体は動かないし、「こう掴みなさい」なんて命じたりしない。

ただ、そこに在る。

掴むも掴まないも、生徒次第。


一度掴んで挑戦を始めれば、その石をどう使うかを何度も何度も試し、

ある瞬間、ふと制覇できるようになる。

その技術は、彼ら自身のものとして血肉化されていきます。


子どもたちが試行錯誤するプロセスを見るのが、私はとても楽しいんです。


「教え導く人」というより、

“そこに在ることで、子どもが自分で登れるようになるための足場のひとつ”

私はそんな存在でありたいと思っています。


親御さんが“命綱”だとしたら、私はきっと“壁のどこかにある石”。

必要なら掴むし、必要なくなれば通り過ぎていけばいい。

むしろ、子どもたちはそうしなければならないんです。


彼らはすぐに成長して、世界をどんどん広げていきます。

その先には、学校の先生、部活の顧問、友人、職場の人、恋人、恩師……

私なんかよりずっと深い場所に触れてくれる、大切な出会いが待っている。


だから、こんなところで留まってちゃいけないんだよ。

■「楽しそうに生きている大人」が一人いてもいい


講師として、というより、一人の人間として子どもたちに見せたい姿もあります。

それが、“楽しそうに生きている大人の存在” 。


そこいら旅に出て楽しそう。

なんやら面白いものを見つけて楽しそう。

好きに自転車乗り回していて楽しそう。

仕事の中でもチャレンジしていて楽しそう。


そういう“生きた大人”が子どもたちの身近に一人でもいれば、

自分達の未来だって楽しそうだと思えるようになるかもしれない。


「大人になるって、あんなに自由で、自分で道を作っていいんだ」


そんな空気を感じてほしいし、未来を楽しみにしてほしいのです。


私は、生徒たちの人生の責任なんて負いません。

負おうとも思わないし、むしろ負ってはいけない。


でもその代わりに、これだけは伝え続けます。


「自分の頭で考え、自分の力で登って、自分の楽しさを自力で掴みに行きなさい。」

その途中で私を足場にしたいなら、自分で決めて掴めばいいし、掴まなくてもいい。」


私が本気で楽しんで生きている姿が、誰かの「登る力」になっていたとしたら。

こんなに嬉しいことはありません。

■この教室は自分の存在を

「言葉で人に届ける」練習をする場所


日々のレッスンの中で、生徒たちは大小さまざまな挑戦をしています。

自分の考えを“人に伝わる言葉”にすることは、簡単ではないし、時には勇気もいる。

ましてやそれが英語となれば、難易度はさらに上がります。


私はどちらかというとイラチという自覚があります(笑)

それでも、生徒たちが自分の考えを言葉にしようとするときは、

どれだけ時間がかかっても待ちます。


その「待つこと」は、彼らにとっては、

・「待ってくれる」という優しさ

・「話すまで逃さない」というプレッシャー

…どちらにも感じられるかもしれません。


でも、心臓をバクバクさせながらも、勇気を出して言葉を発してくれたとき。

私はまず、その言葉を丸ごと受け止めます。

言語としての正しさや内容の正確さは、一旦横に置いておいてね。


まずは「あなたの頭の中に何があったのか」を聞き、紐解き、互いに理解していく。

その先に、必要があれば訂正すればいい。


間違えることは、この場所で練習していることの本質とは、ほとんど関係がありません。

そうやって経験を繰り返すうちに、心の枷が少しずつ外れていき、

「言葉を紡いでみよう」と思えるようになっていく。

そんな場をつくるのが、ここでの私の大事な役割なのだと思います。

■ 在る人として、登る人として


私が教室でしていることは、華やかではないし、劇的でもありません。

けれど、誰かが登ると決めたときに、そっとそこに在り、掴まれたら支え、

必要なくなったらスッとに手放される。

そんな足場でありたいと思っています。


そして生徒たちは皆、私が思う以上の速さで、

私の手の届かない高さへ登っていくものです。


怖がりながらも、迷いながらも、確かに自分の力で登っていく。

その姿を見るたびに、

「あぁ、子どもは皆ちゃんと、自分で世界をつかみにいく存在なんだ」

と強く感じます。


だから最後に、こんなエールを。


どうか、自分の人生を、自分の足で登っていってください。

怖くても、苦しくても、迷っても、足をかける“次の石”は必ず見つかります。


もし、あなたが必要だと思ったときは、私はいつでも足場の一つとしてそこに在ります。

でも、いつか迷いなくその石を蹴って、ずっと遠くへ進んでいけるあなたを、

私は心から信じています。

この “『存在する人間』について考えてみる” シリーズは全4回です。


📍ECCジュニア田村町教室


 香川県丸亀市田村町



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